【作曲家】
▶ラドゥ・パラディ
Radu Paladi (1927-2013)
・ルーマニアのブコヴィナ、チェルニウツィー出身の作曲家。
・ソ連による併合を受けて1944年にブカレストに移住した。
・ピアニストおよび指揮者として活動しながら、作曲活動を行った。
・1954年から1996年までカラギアレ国立劇場映画大学で教鞭を執った。
【音源】
▶ピアノ協奏曲 / ヴァイオリン協奏曲 / 交響的組曲「小さな魔法の笛」
Piano Concerto / Violin Concerto / Symphonic Suite “Das Zauberflötchen”
・概要
パラディの作品を特集した貴重なアルバム。録音は2021年6月。
・カタログ情報
Capriccio (C5465)
・主な演奏者
ロイトリンゲン・ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団
オリヴァー・トリンドル(ピアノ)
ニーナ・カーモン(ヴァイオリン)
ユージン・ツィガーン(指揮)
【メモ】
・ヴァイオリン協奏曲の初演は2007年に拠点のブカレストで行われた。
・ヴァイオリン協奏曲を書こうという構想は長年温めてきたものらしい。パラディがルーマニアに移住した頃には、大ヴァイオリニストのジョルジェ・エネスクが活躍していて、パラディはエネスクに惚れ込んで協奏曲の作曲を考えるようになったんだとか。
・協奏曲の作曲が具体的に動き出したのは2001年の9.11同時多発テロ事件の後で、パラディはこの協奏曲を哀悼の音楽として書き始めたらしい。こういう背景を知ってから聴き直してみると、第1楽章のヴァイオリン独奏がオーケストラの不協和な下降音形に襲われる悲劇の当事者に思えてくるから不思議だ。
・第2楽章は中間部の盛り上がりで区切られる緩やかな三部形式といった様子で、ハープが淡々と刻むリズムの上でヴァイオリンが歌う悲しげな導入部&再現部が印象的。個人的には葬送行進曲の様式というよりも悲哀の歌の背後で時間を刻む表現として(勝手に)解釈したいところ。
・第3楽章は一転してヴィルトゥオーゾ風の力強い楽章になっている。ヴァイオリン独奏が第1楽章を想起させる下降音形を繰り返しながら突き進み、中間部に至ってやっと明るい響きが登場する。そこから場面はガラッと変わり、ルーマニアの民族音楽か民族舞踊を下敷きにしていそうな激しい独奏に入り、やがてヴァイオリンに主導される形でオーケストラが復活する。ここには悲劇的な雰囲気はなく、むしろ民衆的で祝祭的な生命力(あるいはもっと感情移入してしまえば一種の復興と希望)を感じる。
・第3楽章のクライマックスではヴィヴァルディの「四季」から「夏」の第3楽章の冒頭が引用されている。先に舞台裏に触れておくと、この協奏曲はイ・ムジチのコンサートマスターを務めていたマリアーナ・シルブに捧げられており、シルブは協奏曲の初演にも参加している。イ・ムジチはヴィヴァルディを始めとするバロックのレパートリーで有名なグループだから、ヴィヴァルディからの引用はシルブとイ・ムジチに対するオマージュとなっている。
・ヴィヴァルディからの引用には音楽的な必然性もあり、それは「夏」の第3楽章という引用元の選択に表れている。この楽章は麦畑が雷と雹に襲われるという情景を描いたもので、パラディの協奏曲に通じる悲劇的構図を持っている。引用されている範囲を超えたところまで想像を膨らませて、災いの襲来を下降音形で描くことの普遍性に思いを馳せるのも一つの聴き方かもしれない。
・最後に、このアルバムは他の作品の演奏もとても素晴らしい。録音を聴くチャンスが滅多にない作曲家は特集アルバムが組まれるだけでもありがたいというのに、それを聴き応えのある演奏で味わえるとは……。