2022年8月24日

お酒メモ|神谷バーと文学(1)萩原朔太郎『ソライロノハナ』(1913年)

神谷バーのウェブサイトを訪ねてみたところ、神谷バーに寄せた萩原朔太郎の歌が引用されていた。簡単に調べてみたところ、『ソライロノハナ』という歌集に収録されているらしいことが分かったが、細かな典拠が不明であったので自分で調べて記録しておくことにした。

『ソライロノハナ』は『萩原朔太郎全集 第十五巻』(筑摩書房、1978年)に収録されている。これは冒頭に「空いろの花」という詩を冠した歌集で、その前書きによれば「年ごろ詠み捨てたる歌凡そ一千首の中より忘れ難き節あるもの思ひ出多きもののみを集めて此の集を編み上げ」たものらしい。本全集では新たに萩原家で発見された自筆本として紹介されており、「今日まで歌集の存在は確認されていなかった」とある。ちなみに歌集の日付は1913年4月付である。

この歌集は様々な見出しで区切られており、神谷バーに言及した歌は「あさくさ」という見出しの下に入っている。ここには浅草に着想を得た歌がまとめられており、例えば浅草の十二階こと凌雲閣に寄せたと想像される(がいまいち自信のない)次のような歌もある。

浅草の十二いろはの三階の
色硝子より見たる町の灯

(101頁)

そして、この「あさくさ」の中にあるのが例の神谷バーに寄せた一首である。

一人にて酒をのみ居れる憐れなる
となりの男なにを思ふらん   (神谷のバアにて)

(102頁)

しんみりとした歌である。ここに電気ブランへの言及はないが、わざわざ「神谷」と言及するからには電気ブランを飲んでいるものと想像しても許されるだろう。

典拠探しがあっさり片付いてしまったので、ついでに『ソライロノハナ』から洋酒に触れている歌を二首紹介しておく。

春の夜の酒は泡だつ三鞭酒(シャンパーニュ)
楽はたのしき恋のメロデイ 

(53頁)

この「楽」はその場に流れている音楽のことだろう。この一首の周りには西洋音楽絡みの歌がちらほらあるので、詩人は「愛の挨拶」でも聞いていたのかとつい空想してしまう。

キユラソオの淡きにほひの漂へる
くちびるをもて吸はれけるかな

(86-87頁)

キュラソーはオレンジの皮を用いたリキュールで、電気ブランにも使われている。独り神谷バーで飲む人もいれば、オレンジの香るキスをする人もおり、キュラソーの行く先は様々である。

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