2022年7月16日

英詩和訳|エドガー・アラン・ポー「大鴉」

▶エドガー・アラン・ポー

 Edgar Allan Poe (1809-1849)
・アメリカのボストン出身の詩人、小説家。
・怪奇小説や推理小説、純粋詩、美学書を著した。
・破滅的な生活を送ったため国内での評価は低かったが、ボードレールを始めとするフランスの象徴派詩人たちに支持された。
・「大鴉」(The Raven)は1845年にイブニング・ミラー紙に発表された詩で、当時からよく知られていた作品。恋人を失った語り手の部屋に大鴉が現れ、奇怪な言葉を発して語り手を一層深い悲嘆と狂乱に陥れていく様子が描かれている。

▶翻訳

「大鴉」

湿った夜更けのこと、疲れ果て、じっと考えていた
誰も覚えていないような奇怪な伝承を何冊も開いて──
うとうとしていると、不意に、こつこつ、と鳴った
誰かがそっと叩いた音、部屋の戸を叩いた音らしい。
「客かな」と僕はつぶやいた。「部屋の戸が鳴った──
   だがそれだけだ、何も起こらない。」

ああ、はっきり思い出した、凍てつく十二月だった。
消えそうな残り火たちが、床に幽霊を浮かべていた。
僕は夜明けを切に待ち──虚しく書物に頼っていた
悲しみが終わるように──レノアを失った悲しみが──
天使たちがレノアと呼ぶ、あの尊くて眩しい乙女も
   ここでは永遠に、名も知られない。

さらさらと、物悲しく微かに擦れる紫のカーテンに
ぞっとした──覚えのない異様な恐怖を醸していた。
僕は立ち上がり、震える心臓を抑え、言い聞かせた。
「客が部屋の戸の前にいて、中に入りたがっている──
 誰か夜分の客が戸の前で、中に入りたがっている──
   それだけだから、何も起こらない。」

僕の魂はすぐ持ち直した。もうためらうことはない。
僕は言った。「殿下、いやご婦人か、お許し下さい。
居眠りをしてしまいました。戸を優しく叩かれても、
つまり、微かに、こつこつ、と部屋の戸が鳴っても、
ほとんど聞こえませんでした。」──戸を開け放つ──
   暗闇があるばかりで、誰もいない。

僕は暗闇の奥を見つめ、立ち尽くし、怪しみ、恐れ、
疑い、誰も夢に見ようと思わなかった夢を見ていた。
しかし、沈黙は破られず、静寂は何も表さなかった。
発せられた言葉、囁かれた言葉は一つだ。「レノア?」
僕の囁きに対し、こだまが呟きを返した。「レノア!」──
   これだけだった、あとは何もない。

部屋に戻っても、僕の中では魂が燃え上がっていた。
すぐにまた、前より大きく、こつこつ、と聞こえた。
僕は言った。「きっと、きっと窓の格子にいるんだ。
なら、何者なのか確かめて、この謎を解き明かそう──
心臓を少し落ち着かせたら、この謎を解き明かそう──
   ただの風じゃないか、何でもない!」

そこで雨戸を開くと、何度もばたつき、羽ばたいて
神聖な太古の時代を纏った見事な大鴉が入ってきた。
それは礼もせず、止まりも落ち着きもしなかったが、
やがて、紳士淑女の表情で部屋の戸の上に止まった──
僕の部屋の戸の真上にあるパラスの胸像に止まった──
   止まり、座ると、あとは何もない。

すると、僕の悲しい気持ちはこの漆黒の鳥に紛れた。
その生真面目な堅物の面持ちが笑わせてくれたのだ。
僕は言った。「兜は剥げているが、小者ではないね。
酷く厳めしく古めかしい大鴉、夜の国からの客人よ──
夜の冥王の国におられた頃のご尊名をお教え下さい!」
   その大鴉は告げた。「ツギハナイ……

ぎこちない鳥が明瞭に語るのを聞き、僕は仰天した、
その答えは意味のない──何とも関係ないものだが。
というのも、誰しも思うはずだ、今生きている人で
部屋の戸の上にこんな鳥を見た人はいないはずだと──
部屋の戸の上にある半身の彫刻の上に鳥や獣がいて
   名乗っているのだ。「ツギハナイ……」

だが、静穏な胸像の上に一人座る大鴉が語ったのは
ただ一言、その魂が迸り出たような一言だけだった。
大鴉はもう話をしなかった──羽も動かさなかった──
僕がこう呟くまでは。「昔の友は飛び去っていった──
奴も、昔の希望みたいに、朝には僕を置いて行くさ。」
   すると鳥は言った。「ツギハナイ……」

時宜を得た返事に静寂が破られ、僕はぎょっとした。
僕は言った。「奴の言葉はただの空覚えに違いない。
元々はきっと、不運な飼い主が、容赦のない災難に
次から次へ襲われていた頃に呟いていた一節だろう──
憂鬱な一節を自分の希望を悼む挽歌にしていたんだ、
   こんな風に。『次は──次はない……』」

だが、やはり大鴉には気持ちが紛れ、笑いが浮かぶ。
僕は鳥と胸像と扉の正面にある安楽椅子に座り直し、
ベルベットの生地に腰を沈めながら、空想を重ねて
この気味の悪い太古の鳥の正体を考えることにした──
厳めしく見苦しく酷く恐ろしく気味悪い太古の鳥の
   潰れた声の真意を。「ツギハナイ……」

座ったまま思いを巡らし、一音節も発さずにいると
遂にその鳥の瞳の炎が僕の胸の奥に燃え移ってきた。
謎解きを続けながら、僕は寛いで頭を椅子へ委ねた、
ランプに見守られたベルベット作りの安楽椅子へと。
ランプに見守られたこの菫色のベルベットは彼女の
   席だったが、ああ、もう次は無い!

ふと、見えない香炉を揺らして空気を濃くしながら、
セラフィムが澄んだ足音を床の木立模様に響かせた。
「情けない、神の力添えとは──彼は天使を遣わし
休息を──レノアの記憶へのネペンテスを恵むのか。
飲み干せば、ああ、消えたレノアも忘れられるのか!」
   大鴉はこう告げた。「ツギハナイ……

「預言をくれ!不吉な存在よ!──鳥でも悪魔でも!──
誘惑者の手先でも、嵐に見舞われた漂着者でもいい。
孤独だが不屈な者よ、この呪われた荒れ地に預言を──
この恐怖に憑かれた家に──
僕に真実をくれ、頼む──
ギレアドに乳香があるかを──教えてくれ──頼む!──
   大鴉はこう告げた。「ツギハナイ……

「預言をくれ!不吉な存在よ!──鳥でも悪魔でも、
僕らを覆う天にかけて──僕らの崇める神にかけて──
悲しみを乗せた魂に告げてくれ、遥かなるエデンで
天使たちがレノアと呼ぶ、聖なる乙女に会えるかを──
天使たちがレノアと呼ぶ、あの尊くて眩しい乙女と。」
   大鴉はこう告げた。「ツギハナイ……

「その台詞を別れの挨拶にしてやる、鳥め、悪霊め!──
僕は声を荒げた。「嵐の中へ帰れ、夜の冥王の国へ!
黒い羽毛を、その魂が語った嘘の跡を残さずに行け!
僕の孤独を壊すな!──戸の胸像の上から立ち去れ!
その嘴を僕の心に残すな、その姿を僕の戸に残すな!」
   大鴉はこう告げた。「ツギハナイ……」

だが、大鴉は去らず、ただじっと、じっと座っていた、
僕の部屋の戸の真上にある青白いパラスの胸像の上で。
その瞳は鬼神が夢を見ているようにしか見えなかった。
その上のランプはゆらゆらと奴の影を床に映していた。
そして、僕の魂は床の上に漂っているその影の外へと
   出ようとするが──逃げられない!

▶原文(パブリック・ドメイン)

Project Gutenberg|The Raven by Edgar Allan Poe


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